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西田秀男氏の御逝去について [追悼]

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 かねてより療養中の大先輩西田秀男氏が8月10日夕刻亡くなられました。98歳でした。
大正8年鹿児島県国分に西田家の長男として出生。その後旧陸軍経理学校の第1期生として学んだのち満州のハイラルなどでご勤務され主計少佐として終戦を迎えられました。
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 戦後は昭和26年に警察予備隊に入隊。経理畑から方向を転じ第一線の空挺部隊を志し第1空挺団の前身となる第101空挺大隊長に。
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 その後、米国陸軍指揮幕僚大学や第82空挺師団など二度にわたる留学、第1空挺団副団長、第25普通科連隊長、第11師団幕僚長、同副師団長、冬季オリンピック札幌大会支援集団長、自衛隊体育学校長、そして陸将となり最後は関西補給処長で退官されました。
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 退官後、札幌パブリック警備保障株式会社を創業され、多くの自衛隊退職者の援護にも尽力されました。また、隊友会や郷友組織の、銃剣道連盟の要職も務められました。
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 私は、自衛隊、空挺の先輩であり、また人生の大先輩でもあります西田さんのヒストリービデオを依頼され制作中でありましたが、急遽、通夜と葬儀での上映映像を準備することとなりました。
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 ちなみに元陸上幕僚長の中谷正寛氏は甥にあたります。
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 西田さんのように旧陸軍と自衛隊双方を知る方がまた一人他界されました。その貴重なる体験談を残された我々に映像とインタビュー肉声で伝えるDVD制作に携われたことを心から光栄に思います。
 西田秀男さんのご冥福を心から お祈りいたします。

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陸自機LR2の墜落に思う。 [追悼]

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 この度の陸上自衛隊機LR2の墜落には、亡くなられた乗員、そして御家族のことを思いますと胸が痛みます。
 北海道における緊急患者空輸の際の遭難事故と言いますと確か平成6年のやはり道南の遊楽部岳に墜落した航空自衛隊千歳救難隊のUH-60Jが思い起こされました。その時も機長以下4名が亡くなりました。数年前に千歳救難隊の取材をさせて頂いたときに、隊の玄関を入った正面に亡くなった隊員たちを顕彰し事故を決して忘れずに教訓とするモニュメントボードを拝見しました。
 隊のモットーはThat others may live
 私の勝手な訳かも知れませんが、「他者のために生きる」献身的なspiritを表現したものだと思いました。
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 今回は、救援専門部隊ではありませんが、陸自の隊員たちもまた、助けなければとの一途な思いで函館を目指したことは間違いありません。
 空港を目前にしての不慮の遭難は無念の極みだったことでしょう。
 事故が起こった以上、そこには何らかの原因があると思われます。そこを究明して次に生かすことが亡くなった隊員たちの気持ちに報いることかと思います。
 地元紙、北海道新聞の5月16日朝刊31面に少し気になる関連記事がありました。遭難機の機長が一昨年の札幌での医療関係シンポジウムでの発言だそうです。
 「365日24時間待機している。使用する機体はLR2、一機のみ。横風に弱く、風速毎秒10メートルで運行が制限されてしまう。搬送はジェット機の方が適していると思う。」
 私は職種が違うので、航空科の専門分野の意見もお聞きできればと思います。
 亡くなられた4名の御冥福を心より祈念いたします。
 写真は、今年1月の年初編隊飛行訓練で撮影した当該機体です。北部方面航空隊の所有する機種のなかで唯一の固定翼機。塗装も民間機?かと間違いそうで妙に印象に残ったのを覚えております。以前のLRは国産でOD色塗装でしたが。
 追悼の意味を込めまして、LR2連絡偵察機の勇姿をトップ画面に掲載させて頂きます。

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防人の先達、佐藤登氏(96歳)の御逝去 [追悼]

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 在りし日の佐藤登氏(平成28年7月撮影 右は3男の茂氏)

 尊敬する防人(さきもり)の大先輩が5月1日朝、旅立たれました。
 御遺族のご了解を得て、ここに御逝去された故人の御紹介をさせていただきます。
 佐藤登氏(96歳)。
 陸軍士官学校第53期生、陸軍航空士官学校第95期生、陸軍百式司令部偵察機操縦士。
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 戦後、警察予備隊入隊。その後陸上自衛隊高射特科幹部として米国陸軍防空学校に留学。
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 1964年東京オリンピックにおいて選手村管財課長として国の大事業を陰で支える。
 一等陸佐で退官。その後は月寒忠霊塔奉賛会の役員などを務められました。
 特に、東京オリンピックと言う国の一大イベントに於いては選手村のD地区管理事務所長として各国の選手たちに対する献身的サポートを行い内外からの高い称賛を浴びたことは、おそらく御本人にとっても終生の誇りであり忘れ難き想い出でもあったと推測いたします。
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 「オリンピックと自衛隊(渡邉陽子著)」は、オリンピックを陰で支えた自衛隊のアナザーストーリーが見事に描かれていますが、その138ページには佐藤登(当時2佐)氏に関する記述があります。
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 私は7年前の「月寒忠霊塔追憶DVD」制作と昨年の二度に渡り佐藤登氏をインタビュー撮影させて頂きました。
 この貴重な映像記録は残された我々にとりましても、多くの教訓と今後への糧を与えてくれるに違いありません。
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 佐藤登氏の御冥福を心より祈念申し上げます。



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山崎豊子さん新潮文庫2500万部 [追悼]

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 写真は、先日の日刊紙に掲載されていた「新潮文庫」の広告です。
「痛かろうが、体力が落ちていこうが、小説を書くことしか能のない私である。戦争に生き残ったものの使命は、やはり死に逝くまで果たさねばならないのだ。」とあります。壮絶とも言える山崎豊子さんの言葉です。
 販売累計、白い巨塔590万部、華麗なる一族470万部、不毛地帯530万部、二つの祖国290万部、そして沈まぬ太陽660万部。総計何と2500万部!!
 正義を問うた社会派の巨星、山崎豊子さんの追悼広告です。by新潮社
 絶筆「約束の海」週刊新潮にて只今連載中。
 山崎豊子死してなお、我々に深い感動を与え続けてくれております…


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追悼 廣田泰悠さん [追悼]

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 大変お世話になった方が27日亡くなりました。本日告別式でした。
 元STVの廣田泰悠(やすなが)さんです。享年67歳。
 STVの現職カメラマン時代、ご自身もまさに「ビデオジャーナリスト」として素晴らしい作品を世に送り出し放送業界の数々の賞を受賞されました。
 その後、STV報道部長やマルチメディア室長を経て札幌映像プロダクション副社長もお務めになりました。
 80年代から90年代にかけてSTVビデオリポータークラブを通じて、廣田さんはクラブの事務局長として北海道のアマチュアビデオカメラマンを数多く育てて頂きました。
 私もその活動を通じてビデオ撮影編集に目覚め今日に至っております。
 1995年(平成7年)には、芦別で行われた大林宣彦映画学校ふるさとビデオで大賞をいただきましたが、そのとき作品応募を勧めて頂いたのが廣田氏でした。大賞を頂いた夜にみんなで飲んだのを思い出します。廣田さんにも我が事のように大変喜んで頂きました。

 2010年の7月にはDV-7研究会にもご来会頂き旧交を温めました。(中央:廣田泰悠さん)
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 大変懐かしい1996年に発刊されたSTVビデオリポータークラブの会報(下記写真)です。
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 懐かしく読み返してみますと、その中に、ビデオリポータークラブで腕を磨いて他局に投稿する人間が増えることを危惧するある会員の方の投稿が紹介されていました。そして廣田さんがそれに返信している部分がありました。以下抜粋して紹介します。

 (返信:廣田事務局長)
『(会員の方は)STVの社員でもないし素人なんだから、どこだって放送されれば嬉しいに決まっているよ。人は離れて行くかもしれないけれど事務局はSTVと会員とを繋ぐ接点でなきゃいけないと考えたんですよ。離れて行く人もいるかもしれないけれど前途が暗い訳では決してないヨ。ビデオ大賞だってやって良かった。まだまだ北海道には、知り合いたい人が沢山居るんだと言うことが分かったからネ。』
 
 作品には厳しい評価も沢山して頂いたんですが、とても心の広い包容力を持って私たちを教えて下さった廣田泰悠さん。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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